住所:静岡県伊豆市修善寺970 電話:0558-72-2007 IP:050-1001-7579 E-mail:rsv@arairyokan.net
008年7月1日(火)〜8月3日(日)
会場:伊豆修善寺温泉 新井旅館 書画展示室
ご案内:ご宿泊・昼食会席・文化財ガイドツアーご参加の方が対象となります


龍子(りゅうし)は尊敬する横山大観ゆかりの新井旅館にたびたび宿泊し、
三代目当主と親交を深めました。
修善寺をこよなく愛するようになった龍子は、新井旅館の近くに別荘を建てました。
川端寓の表札が今も掛けられ、歴史を物語っています。
温泉街を見下ろす修禅寺山の墓地には、川端家の墓と画伯の筆塚があります。
昭和35年に行われた新井旅館月の棟の改修工事の際には設計考証を担当し、
先頭に立って指揮を執る龍子の姿がありました。
爾来、旅館のロビーには龍子が揮毫した「明月荘あらゐ」の扁額が掛けられています。

  新井旅館 伊豆ものがたり 沐芳コレクションより
『近代日本画源泉の地、伊豆修善寺と
川端龍子のふるさと』

川端龍子作「天平風呂」 昭和16年

川端龍子の足跡
 川端龍子は明治18年和歌山市に生まれ、10歳の頃に東京に移転しました。
 当初は洋画を描いていましたが、ボストン美術館で見た鎌倉期の絵巻の名作「平治物語絵詞」に感動したことが帰国後の日本画転向のきっかけの一つであったといわれています。
 大正4年、院展(再興日本美術院展)に初入選し、大正6年には院展同人に推挙されました。
 昭和3年には院展同人を辞し、「会場芸術」としての日本画を主張、「青龍社」を旗揚げして独自の道を歩みました。
 大作主義を標榜し、大画面の豪放な屏風画を得意とし、大正から昭和戦前の日本画壇においては異色の存在でした。
 昭和34年、文化勲章受章。
 没年の昭和41年には、長年住んだ大田区にある池上本門寺の天井画として奉納すべく「龍」を描きましたが、未完のまま死去。後日、日本画家の奥村土牛が画竜点睛して開眼の上、奉納されました。 

龍子と修善寺の関わり
 明治5年創業の新井旅館は、三代目館主・相原沐芳(もくほう)が芸術に造詣が深かったことから若き画家達の集う場となり、安田靫彦や横山大観といった日本画の巨匠達との縁が生まれました。
 龍子もその一人で、明治41年に訪れて以降、頻繁に来館しています。
 温泉街に土地も手に入れ、別荘「青々居」を建築。別荘滞在中の食事は新井旅館から運ばれたと伝えられています。
 また、名刹・修禅寺の宝物館には天井画「八方睨みの龍」が描かれており、お墓と筆塚もあります。
 新井旅館を題材とした作品には、第14回再興院展に出品された「湯浴(湯治)」をはじめ、のちに登録有形文化財となった「天平風呂」、池の鯉を描いた「魚紋」などがあります。
 龍子は建築にも才能を現し、昭和35年新井旅館月の棟の改修工事の際に、ロビーの大石や池の流れを取り込んだ意匠を考案しました。工事現場で陣頭指揮を執る龍子の写真(右図)が残されています。
 ロビーに飾られている扁額「明月荘あらゐ」は、月の棟の改修が完成した際に新井旅館の発展の意を込めて贈られたもので、当時から今日に至るまで新井旅館を訪れるお客様を出迎えています。

 本展では新井旅館に遺された作品のうち二点と、龍子から沐芳へ送られた書簡、龍子をはじめとする日本美術院同人と沐芳の署名が寄せ書きされた盆(左図)などを公開致します。

 また、国の登録有形文化財となっている建物をご案内する「文化財ガイドツアー」では、龍子意匠の玄関やロビーについてもご説明致します。是非ご参加下さい。